家族のせい、友達のせい、環境のせい。
ほとんどの人が口にした、もしくは心の中で思ったことがあるであろう他責思考。
これは絶対に良くないという話をする。悪いのは自分だ。
まず第一に、未成年であれば、他責思考でも許される場面はあるかもしれない。だが、成人以降では他責思考は甘えであり、許されることではない。
なぜなら、自分の行動全てに責任が伴うのが大人だから。
子どもの頃は大人に憧れる
子どもの頃、大人はいいなあと思ったことがあるだろう。
例えば夜更かし。
子どもは早く寝なさいと言われるが、親は遅くまで起きてテレビを見ている。
例えば門限。
17時には家に帰ってきなさいと言われるが、親は夜遅くに飲み会から帰ってくる。
…
大人はいいなあ。自由だなあ。
そう、自由に対して憧れがあったのだ。
なんでも自分の好きな時、好きな場所で、好きなことができる。
でも子どもの自分は親の監視下での自由しかない。なんて窮屈なんだろう。そう思っていた時期がありました。
しかしこれは仕方のないことだったのだ。なぜなら子どもは親の責任の下で成長していくからだ。
夜更かしをしてしまったせいで寝不足になり、翌日の学校の授業に集中できなかったら?
夜遅くまで遊んでいて、暗がりの道で犯罪に巻き込まれたら?
そう、これらは子どもの責任ではなく親の責任なんだ。だからこそ親は厳しいことを言うし、子どもはその厳しさに守られている。
自由と責任は表裏一体
つまり、自由と責任は表裏一体なんだ。
自己決定をするたびに、責任を負っていく。これが人生であり、大人になるということ。
大卒の人であれば大人になってから社会に出ていく。どんな仕事をするのか、誰と付き合うのか、どこに住むのかなどなど、多くの人にとって自分に関するすべてのことは自分で自由に決めることができるだろう。そしてその中には結婚に関することもあるはずだ。どんな人と、いつどこでどんな風に結婚したいのか。すべては自分が決めることだ。
出会いがないという他責思考
「全然出会いがないんですよね。」
恋人のいない社会人のほとんどがこの言葉を発したことがあるだろう。だがこれは他責思考だ。
なぜなら、現代は出会いであふれているからだ。スマホひとつあれば誰かしらと繋がることができるこの時代に、出会いがないなんてナンセンス過ぎる。
出会いがないのではなく、出会う方法を探していない自分の責任。
「全然いい人がいないんですよね。」
これもナンセンス。
なぜなら良い人がいない理由を他人のせいにしているから。これを言っている人は、理想が高すぎるんだ。
偏差値30の人が偏差値30の学校をバカにして偏差値60の学校を受験しているようなもの。
良い人がいないのではなく、高望みをしている自分の責任。
自責思考はポジティブにとらえる
自責思考と聞くと、どうもネガティブなイメージが付きまとうが、これはポジティブにとらえないといけない。
失敗は成功の母というが、自責思考にもこれと一緒なんだ。
例えば良い人がいないという他責を、自分が高望みなんだという自責に変換する。この時に落ち込むのではなく、ではどうすれば高望みではなくなるのかを考えていけばいいんだ。
何に対して高望みなのか?
→相手の見た目に対して高望み。
→自分の見た目が良くないからこそ求めてしまう。
→それならば自分を磨くために努力しよう!
→ダイエットや美容に力を入れる。
→自分の外見偏差値が上がって、相対的に高望みではなくなる。
そう、失敗をもとに自分の考えを改善していけばいい。自己投資につなげていくんだ。
自責思考は応用が効く
自責思考は婚活以外でも役に立つ。仕事にも応用できるし、友人関係にも活かせるだろう。
他人を変えるのは難しいが、自分を変えるのは簡単だ。なぜなら自分次第だから。
今日より明日の自分が成長していたら嬉しいと思える人は、ぜひ実践してみてほしい。