俺は都内に住んでいるんだが、昔から新宿には遊びに行くことが多かった。
理由はたくさんある。
ラーメンを食べるために
友だちと遊ぶために
ファッションのために
女の子とデートするために
そして
適度な自然を楽しむために
自然を楽しめる街、新宿
そう、新宿は自然を楽しむこともできる場所なんだ。そしてその場所こそが新宿御苑。
大都会のど真ん中にあるにもかかわらず、かなり広い敷地だ。
中には日本庭園、温室、スタバなどもあり、多様な楽しみ方がある。
入園料こそかかるものの、大人1人500円ほど。園内はちゃんと管理されているからゴミもないし芝生も綺麗に整理されている。変な人もいないし値段に見合った価値があると言っていいだろう。
今回は公園に行くことが自己投資になるということについて解説していきたいと思う。
人間と人工物・自然との関係
本題からは逸れてしまうが、まずは人間にとって自然がどれほど大切なのか説明したい。
そのためには自然と相反する人工物と比較するのが一番いいだろう。ちなみに人工物の定義は現代科学を用いたモノゴト(建物や機械など)、自然の定義は一定量の森や山、ということにする。
人間と人工物
人間には人工物が必要ないと答える人は非常に少ないだろう。電車や車などの乗り物、エアコンや掃除機、テレビなどの家電、スマホや電話などの通信機器、我々は人工物がないと生きていけないほど依存しているからだ。
しかしよく考えてほしい。世界には自然と共に生きている遊牧民族、狩猟民族がいる。そこにはその手の人工物はほとんどないだろう。
つまり、人工物は無くても大丈夫ということになる。無くても大丈夫だけど、あったらめちゃくちゃ便利なものって感じ。
人間にとって人工物がなくてもいいけど、あったら超便利なもの。
人間と自然
人間と人工物との関係性はわかった。じゃあ次は人間と自然について考えていこう。
人間に自然は必要だろうか?
東京をはじめとする都会で暮らしている人にとって、自然はあまり必要がないものと感じる人は少なくないだろう。なぜなら、そもそも身の回りに自然がないからだ。
コンクリートジャングルと言われるほど、都会には自然がなく、あるものはコンクリートで作られた人工物ばかりだ。木を見ることはあれど、林や森を見ることはできない。毎日の生活の中で、自然を必要だと感じる場面はないと言ってもいい。だからこそ、自然は必要ではないと思う人が多いだろう。
しかし、人間には自然が必要不可欠なんだ。なぜなら人間はここ100年ちょっとで近代化を果たしたものの、それ以前は何前年もの間、自然の中で自然と共存してきたからだ。たった100年ちょっとで自然が不要になるとは到底思えない。
科学的にも証明されている
2016年にダービー大学が行ったメタ分析がある。
自然とのふれ合いはどれだけ体にいいのか?という研究だ。
871人分のデータをまとめてこのような結論を出した。
自然との触れ合いにより、確実に人体の副交感神経は活性化する
副交感神経は気持ちが穏やかな時に働く自律神経で疲れやストレスを回復させる働きを持つ。
つまり、自然は体の疲れやストレスを回復させる働きを持つということになる。
メンタルクリニックへの受診患者が増えている
これはあくまで俺個人の意見であり、因果関係があるのかどうかは定かではないが、ここ十数年でメンタルクリニックへの受診患者が増えていることは自然とのふれ合いが少なくなっていることが原因なのではないかと思う。
デジタル化が進んで、情報の取捨選択の速度が上がったから脳が疲れてしまっているという話もある。
つまり、非自然との付き合いが増えてきたからということになる。人間には自然が必要不可欠だということが理解できるだろう。
適度な自然で十分
人間にとって自然が必要であることはわかった。ではどうすればいいのか。田舎へ出向いて大自然を堪能する必要があるのか?
クイーンズランド大学が行った研究からその答えが見えてくる。人間には適度な自然で十分だということだ。
2016年に行った研究では、1538人のオーストラリア人を対象に全員が1年の間に公園などで自然と触れ合った量を調べたうえで、うつ病や高血圧の発症率と比べている。
これらの数値は自然の接触時間とほぼ連動しており、公園に行けばいくほど心と体は改善していった。
エビデンスは高くないが、週1で30分は公園に行くということを目標にするのがいいだろう。
少しでも自然に触れることで気分がリラックスすることを実感することができるだろう。
新宿御苑は心のオアシス
まとめると、新宿御苑をはじめとする都内の公園に足を運ぶだけで我々の心と体は喜ぶ。
ただ公園をぶらぶらと歩いたり、座ってぼーっとすることは時間の無駄に感じてしまう人も多いと思うが、自らの健康を向上させることができるとわかると意識も変わってくるだろう。
今回はそれを肌で実感することができたし、公園を出るときに心が軽くなった気がしたのも、あながち間違いではなかったということだ。
さあ、みんなも公園へ行こう。