あなたには親友と呼べる人間がいるだろうか?
いない人もいれば、何人もいるという人もいるだろう。交友関係とはすなわちコミュニケーションであるわけで、親友とはその中でも特に親密な関係を築いてある相手ということになる。
親友がいないとしても、それは決して恥ずかしいことではない。なぜなら親友の有無は運やタイミング、ライフステージなどに大きく左右されるから。
学生時代は仲良しだったのに、社会人になってからは疎遠になってしまった、なんてこともよくある話だ。
かくいう私も、とあるひとりの親友との距離感が変わってしまった。その経験をもとに、今後の自分のために心の整理をしていきたい。
親友とは20年来の親友だった

仮に親友Aとする。その友達と出会ったのは小学生の頃だった。当時は親友という感覚は全くなく、よく遊ぶ友達の中の1人という感じだった。
小学生時代はその友達とはよく遊んだ。放課後になると”帰ったらいつもの公園に集合な!”と学校で解散し、その後ランドセルを家に置いてから公園で遊ぶ。そんな毎日だった。
中学生以降は連絡頻度が減った。部活が始まったからだ。お互い違う部活動を行っていたこともあり、一緒に遊ぶ回数も次第に減っていった。
高校生にもなると、ほとんど一緒に遊ぶことはなくなった。というのも、友人Aとは異なる高校へ進学したからだ。大学生のときも同じだ。お互い違う道を志して進学していたため、完全に連絡を取り合うことがなくなりつつあった。
お酒が繋いだ交友関係

大学生の間に成人を迎えた。その頃からだろうか、私たちはまた連絡を取り合うようになっていた。大きなきっかけはお酒が飲めるようになったからだろう。地元の友人たちと一緒に居酒屋で飲むようになった。もはや一緒に遊ぶという感じではないものの、連絡を取り合う回数は増えていった。
共通の趣味

社会人になってからはお酒だけでなく、共通の趣味が私たちを繋いでいた。私たちは2人ともキャンプが好きだった。キャンプ道具を持っているのは私だけだったので、友人Aからキャンプのお誘いがかかるようになっていった(キャンプ道具は一式揃えようとするとかなりお金がかかるしキャンプ好きなら尚更凝ったものが欲しくなるため、さらに高くつく)。2人で行くこともあったし、他の友人も誘って複数人でキャンプへ行ったことも少なくない。関東の都道府県の半分近くに、ここ数年のキャンプを通じて行っていると思う。
変化は突然訪れる

ここ数年は、お酒にキャンプといった我々2人を繋ぐものが多数あった。私はこんな関係性がずっと続くんだろうなと漠然と思っていた。
しかし、変化は突然訪れた。
友人Aが転職することになったのだ。
転職が決まると途端に忙しくなってしまい、彼はキャンプどころか飲みに来ることもできなくなってしまった。しばらくしたらまた参加してもらえるだろうと思っていたが、今は仕事に集中したいからしばらくは参加できないと本人から言われてしまう始末。それならとその時はその申し出を快諾した。しかしその後日、友人Aは他の友人と定期的に飲みに行ったり食事へ出かけているという話を聞いた。つまりどういうことかというと、彼の中での私の優先順位が下がってしまったということだ。
変化は必然
もちろん悲しかった。
しかしこういった変化は誰にでも訪れるものだ。子どもから大人になるにつれて、学校や職場などの環境は常に変わる。やりたいこともたくさんできるだろう。自分のやりたいことの優先順位が高くなってしまうのは仕方がないことだ。また、大人になれば家族を持つこともある。そうすれば自ずと優先順位は自分から家族へとシフトしていく。
そしてその優先順位もまた今後変化していくだろう。疎遠になっていた友人と、また一緒に遊ぶようになることもあるかもしれない。その変化はいつ起こるかは誰にもわからない。第二の人生と呼ばれる中年以降に起こる変化である可能性もあるわけだ。つまり、またその友達と一緒に飲みに行ったりキャンプへ行ったりすることができるようになる未来もあるということだ。人生はそういう絶え間のない変化の渦にもまれながら進んでいくものなのかもしれない。
友人Aとは、お互い何か悪いことをしたわけではない。別に喧嘩をしたわけでもないし何のわだかまりもない。
そう、私は友人Aを失ったのではない。友人Aは一時的に離れてしまっただけなのだ。私が勝手に悲しんでいるだけで、友人Aじたいはケロッとしていることだろう。そう考えるとなんだかばかばかしくなってしまうのが面白い。
今はただ、友人Aとの関係性の起承転結を変化を楽しもうと思う。結論付けるのはまだ早い。これからまだどんどん変化していくだろう。人生はまだまだ長いのだから。