【恋愛と結婚を経て気付いた】個人の普通や当たり前の押しつけはNG。人それぞれ普通や当たり前は異なる。

普通~だよね。

これ当たり前じゃない?

こういう会話、今まで何回してきただろう。社会で生きていれば、普通や当たり前はある。しかし、その境界線は人それぞれ違うことに、最近気づいた。

普通の男性についてまとめた記事もあるから、よかったらそっちも見てほしい。

目次

当たり前とは?

”わかりきった、言うまでもないこと。”

これが当たり前という言葉の意味らしい。

どういうことが当たり前に該当するのだろう。

社会人になると

  • 約束の時間を守ること
  • 身なりを整えること
  • 机を整頓すること

こういったことが当たり前として考えられる。

しかし、それらを詳しく考えてみると難しい。

約束の時間を守るにあたって、5分前行動をとることも含めているのか?人によっては10分前行動かもしれないし、オンタイムでもいいと考える人もいる。

身なり一つでも難しい。ヒゲを生やしていても構わな人もいるだろうし、髪型も長くていい、髪色も茶色ならオッケー、茶色はダメ、などと、人それぞれ違う価値観があるだろう。

当たり前が共通認識でいられるのは広義でのみ。

つまり、当たり前には具体性がない。細かく定義することができないんだ。そのため、広義にとどめる必要がある。

しかしそうなると難しい。

例えばコップで細かく定義づけてみよう。

人によっては取っ手がついているものをコップと呼ぶし、人によってはマグカップがコップ、透明なグラスがコップなど、意見が分かれてしまうことだろう。

当たり前も、これと一緒なんだ。

人は約束を守るべき。という大きく抽象的なものであれば定義づけすることはできるが、どんな約束を守るべきなのかは人それぞれ違うので定義できない。

普通とは?

”いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。”

これがいわゆる普通という意味らしい。

なんか先ほどの当たり前の意味と近いものがあるように感じる。

しかし違いがあるとしたら、当たり前は物やその人自身には当てはまらない。

当たり前の容姿や当たり前の犬という言葉に違和感を覚えるのはそのためだ。

普通は、物や人にも当てはまる。

普通の人、普通の服装

よく聞く言葉だろう。

しかし冷静に考えてみて欲しい。

普通の人ってなんやねん。

普通の服装ってなんやねん。

そう、結局普通という言葉も抽象的で人それぞれ違う物なんだ。

皆自然に”普通の〜”という言葉を使用するが、それはやめた方がいいと俺は思う。

俺の中の普通の基準と他の人の普通の基準は違うから。

どうして当たり前や普通が多用されるのか?

正直、これは国民性だと思う。

“出る杭は打たれる”

“長い物には巻かれろ”

このようなことわざが日本に存在している時点で、一般な考えとは違う考え、あるいは価値観を持っている人を叩く悪しき文化が日本にはある。

良く言えば、団結力を強めるため。

悪く言えば、少数派の意見を潰すため。

普通や当たり前という言葉を使うことで、考えや価値観、行動の均一化をはかってしまう。

自分の意見を持つべき

自分の意見や価値観が少ないと〜すべきになる。

つまり、”普通〜でしょ。”とか、”〇〇は当たり前じゃん。”

といった、普通や当たり前を多用する信者になる。

そういった人たちは自分の軸がないのだろう。

一般論に逃げがちになり、特に日本人は周りに合わせる国民性も相まって、一般論を神聖視してしまっている人が多いんじゃないかと思う。

必要に相手を責めないために

いろんな考えや価値観があっていい。

多様性が大事とされる令和の今、普通や当たり前を強要しすぎるのは良くないと思う。

そのためにはまず、他責思考を変えることだ。

何事にも、自己責任で捉える。

例えば婚活でうまくいかなかったとしよう。

人によっては、

結婚したいのに良い人がいない。

裕福な暮らしがしたいのに年収の高い人がいない。

自分の好みの可愛い人がいない。

などと他責思考の人が、婚活の場やTwitter(x)などでよくいるが、

他人に求めて何か変わるのだろうか??

良い人のところには良い人が集まるし

年収の高い人の周りには年収の高い人がいる。

何が言いたいかというと、

自分の身を置く場所次第で周りの人間は変わるんだ。

他人に何かを求めるならまずは自分を高める努力をしよう。

物事の考え方

自分、相手、その他の課題で物事を考えることも大切だ。

例えば

身なりが汚いという課題であれば、自らを変えなければいけないが

友だちの愚痴の多さが気になるという課題の場合は、自分ではどうにもならない。

日本の自然災害の多さに関しては、誰にもどうにもできないだろう。

つまり、

課題を分類して、どうにかできる課題か、そうではない課題かを明確化させると、ストレスは減る。

どうにもできないのであれば、無理に頑張る必要はない。その課題から離れるか、仕方ないと割り切ればいいだけだ。

普通や当たり前は不変

当たり前や習慣は移りゆく。

昔は当たり前だったことも、今では違うものはたくさんある。

専業主婦がいい例だろう。

昔は当たり前だったが、今は共働きがメジャーであり、当たり前になってきている。

だからこそ、普通や当たり前なんてそれほど気にする必要もないんだ。

服の流行が移り変わるように、普通や当たり前もそうなっていく。

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この記事を書いた人

やくてぃーです。
30代男性。普段は薬剤師として日々患者さんのために働いています。
自身の婚活経験をもとに恋愛や結婚観についてまとめています。

人生を豊かにする方法を常に模索しています。
合理的な生き方もいいけど、遠回りでも心が豊かになればそれでOK。

人生を楽しく面白くしていきましょう

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